プロフィール


1952年北海道生まれ/高校卒業後上京し、雪印乳業厚木マーガリン工場で働く/職場では労働組合で賃金差別是正の活動に尽力/2011年に海老名市議選に初当選。現在1期/家族は妻/さつき町1-10-202に在住


津軽海峡を渡り、海老名市に 
 私は、1952年、北海道網走郡津別町で農家の4人兄弟の次男として生まれました。地元の農業高校を卒業し、憧れの雪印乳業に入社。生まれて初めて津軽海峡を渡り、海老名市の厚木マーガリン工場の寮に入りました。当時の寮は3人部屋で、あの頃に流行っていた井上陽水やNSP、泉谷しげるといった人たちの音楽をラジオやレコードで聞いていました。
 音楽好きだった私は、労音(勤労者音楽協議会)という組織を知り、職場の仲間を誘って「厚木青年音楽愛好会」を結成。月に1回、例会(コンサート)を開催しました。労音の活動の中で、日本共産党と出会いました。人の悩みや要求に耳を傾け、その解決に献身する日本共産党員の姿に惹かれ、自分もこの道を進もうと27歳の時に入党しました。

仕事への誇り、仲間の大切さ 
 雪印厚木マーガリン工場では、マーガリンの充てんや包装の工程を長く受け持ってきました。仲間とのチームワークが求められる職場で、信頼関係づくりを大事にしてきました。大変なときも、マーガリンの製品づくりに関われる喜び、いい仕事がしたいという思いが支えとなりました。
 かつて、組合活動を理由に、会社が賃金や昇格の差別を持ち込んできた時がありました。私は、仲間との信頼関係を壊すようなやり方はおかしいと思い、会社との交渉の場にも参加しました。「自分だけの問題じゃない、雪印でいい仕事がしたいというみんなの問題だ」という思いが広がり、職場だけでなく地域でも支援の輪がつくられました。最終的には会社と前面的な和解がつくられ、職場の同僚たちから「よくがんばったね」と声をかけられたとき、言葉に出来ないほどのうれしさがこみ上げてきたことを覚えています。

介護や医療への切実な声をしっかり受けとめ  
 1999年、折から声をかけられていた医療生協の活動に参加し、その後12年間、海老名の支部長として活動してきました。「特養ホームに入りたいけど空きがない」「生活が大変で病院に通えない」など、一人ひとりの切実な悩みは胸をしめつけられるような思いでした。介護や福祉をもっと充実させたい、健康づくりにも力を入れてほしいと思い、医療生協として予防医療や無料健康チェックに取り組むとともに、市に対しても医療や介護充実の要望を訴えてきました。

重田さんのバトン受け、日本共産党市議に 
 2011年、長く地域で活動してきた重田保明さんのバトンを受け、市会議員選挙で初当選。これまで、多くのみなさんの支えで議員として活動してくることができました。これからも、いつでも気軽に声をかけていただける身近な議員として、みなさんとともに平和で住みよい海老名市をめざしてがんばっていきます。